第6回 言葉遣いはウソをつかない 07年4月

春になると、新人アナウンサーの頃の厳しかった研修を思い出す。発生、発音から、滑舌の訓練を経て原稿読みと、約3ヶ月間来る日も来る日も狭い会議室に閉じこもって研修に明け暮れた。特に私は超劣等生だったらしく、過去に何人も育て上げてきた大ベテランの女性の上司に「あなたみたいな飲み込みの悪い子は初めてよ」と呆れられたものだった。
原稿を読むスキルを身につけるのも一苦労だったが、最も記憶に残っているのは、「正しい日本語」を話すための研修だ。ニュース原稿によく出る言い回しや地名、続く名詞によって違う数字の読み、そして、一般的には間違えられがちな言葉の正しい読み方など、徹底的に叩き込まれた。
耳にタコができるくらい言われたのは、「放送で正しい日本語を話すことはアナウンサーの使命」という言葉だ。英語のアクセントが平板化したり、「ら」抜き言葉がすでに一般化していても、アナウンサーは本来のアクセントで話すべし。例え記者が書いた原稿が間違っていても、アナウンサーが最後の砦となり、正しく直すべし。そう教え込まれた。
放送で間違った読みをするとすぐに呼び出されて注意を受けるのも、打ち上げでお酒を飲んでいる時まで言葉遣いを直されるのも、当時は「小うるさいぁ」と煩わしく思っていたのだが、今振り返れば、その時心を鬼にして注意してくださった先輩に深く感謝している。私のアナウンサーとしてのベースはそこで培われたのだから。
今やテレビを見たり、スタジオで出会ったりする話し手の中で、間違った読み方や言い回しを聞くと気になってしょうがない。テレビに向かって「元旦は朝にしか使わないの」と突っ込みを入れたり、スタジオで「国名としての日本はニッポンと読むのよ」と注意したり、すっかり「小うるさい」お局になっている。少しずつでも「恩送り」できればと思う。
アナウンサーだけではなく、言葉というのはコミュニケーションの基本だ。普段何気ないときにふっと出てくる言葉のフレーズや、気持ちを表現するときの言葉選びで、その人の「人となり」がわかる。時には、言葉からどんな人生を歩んできたのか、どんな性格なのかまで想像できるときがある。楚々とした美人がら抜き言葉や若者口語を連発するとがっくりくるが、金髪に染めている若いお兄さんが、きちんとした敬語を話すと、それだけで「お、やるな」と思ってしまう。言葉遣いは、見た目の印象よりもよっぽどうそをつかない。
言葉に関して「さすが」とうなったのは、阿川佐和子さんと檀ふみさんのお二方だ。
阿川さんが何かの席で「とんでもないことでございます」ときちんとした言い回しをされていたことが新聞の記事で褒められていた。一般には「とんでもございません」と言いがちだが、本来「とんでもない」が一つの言葉なので、その丁寧語は「とんでもないことでございます」が正しい。また、檀さんととあるオペラでご一緒させていただいたとき、「褥」という字幕の読み方がわからないとつぶやいた私に、「しとねと読むのよ」と優しく教えてくださった。
お二人からにじみ出てくる品格というのは、このような言葉への造詣の深さから来るのだということを改めて知った。
檀さん、阿川さんに及ぶべくもないが、私も願わくば、年下の女性たちに、若いアナウンサーたちに、「さすが」と思ってもらえるような言葉を繰る女性になりたいと思う。

「コミュニケーションのお作法」毎日新聞 SPACE 06~07年

タイトル :
名前 : URL :

トラックバックURL

Copyright © KEIKO YASHIO LABORATORY All Rights Reserved.