フリーはいいな、自由で。
会社勤めを続けている友達は、皆そう言って羨ましがる。自由でいい、なんてとんでもない。自由にはリスクがつきものだし、何より、ずっと自由にのんびりしていたら、お金が入ってこないではないか。
そうは言っても、自分で選んだ道である。10年間勤めさせていただいたテレビ東京を退職したのは2003年のことだった。大学院に行き始めた上に、結婚したこともあり、それまで仕事に注ぎ込んでいた時間を、家庭や趣味や勉強に、ポートフォリオし直したかったからだ。
退職して半年間は仕事をせず、専業主婦学生をしていたため、入ってくるお金はゼロである。今まで10年間毎月お給料をいただいていたことがいかにありがたかったか、初めて実感した。厚生年金から国民年金へ、会社の健保組合から国民健康保険へ。会社員の頃は、給料天引きにブーブー言っていたものだが、自分の銀行口座から引き落とされるほうが、ずっとずっと痛い。
そして、フリーとしてテレビやラジオの仕事をするようになっていただいたギャランティーの、ずしりと岩のような重さったらない。なぜって、先方は「八塩に」と言ってご指名で仕事をくださるのだ。数ある選択肢の中からよくぞ選んでくださいましたと、拝みたくなる気持ちである。
ただ、例えばテレビの出演料は、番組に出続けていただいていた月給と比較してしまえば、えっ1回でこんなにいただけるんですか、という額ではある。だからこそ、プロデューサーから「払った分、しっかり貢献してくれよ」と言われているようで、重い。実際、そう思っているだろうし・・・。局アナの月給とのかい離がわかるからこそ、違う何かを醸し出さないとならないのだが、果たしてそれだけの仕事ができているのだろうかと、居たたまれない思いなのだ。
そのギャラは、私の下まで遠路はるばる旅をしてくる。放送が終わって、その出演料は、月末締めで翌月に、マネジメント事務所に入り、そこからマネジメント料をひかれて、さらに翌月に私の銀行口座に振り込まれる。すると、手元に来るのは、大体、仕事をしてから、3ヶ月後くらいになってしまう。この時差が辛いときもあるが、意外に助けになることのほうが多い。忘れた頃に来るとなんだかありがたみも増す。かわいいギャラには旅をさせろ、ということか。
一方では、リスク満載である。いつ番組が終わるかも、いつ仕事がなくなるかもしれない、という恐怖が常につきまとう。フリーとは、自由に仕事が選べるということではなく、自由に使われるということなのである。いやいや、こんな表現は全方位外交が基本のフリーとしてはマズイでしょう。どうぞ、皆様、八塩圭子をご自由に使ってやってください。
2009.07









